パチンコで大当りして出玉を交換する際、皆さんはどうしていますか?
パチンコの景品には金地金といった「特殊景品」、そしてタバコや生活雑貨などの「一般景品」の2種類があり、9割以上が前者を選択していると言われています。金などは専門業者のところに持って行くと買い取ってもらえるので、ホールの近くに存在する窓口へ持参する人が多数いる、というわけです。
とはいえパチンコ業界では昔からギャンブル色を薄めたい思惑からか、一般景品の持ち帰りを推奨しており、1970年代以降スーパー並みの品揃えを誇るホールが増加。また様々な個性を打ち出して、ユニークな景品交換ができることを宣伝する店舗も出て来ました。
そこで、まずは“ちょっと個性を出し過ぎた”昭和~平成の一般景品を、いくつかご紹介していきたいと思います。
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■子供のためにカブトムシを持ち帰る
1971年、愛知県一宮市にあった「ミユキセンター」というホールにて、何と「カブトムシ」と「クワガタ」が目玉景品になりました。
それぞれ玉80個で交換できましたが、もちろん昔からパチンコは18歳未満禁止。子供のお土産にするため、お父さんたちが頑張ったのは想像に難くないところです。
お店の前には写真のように、大きな貼り紙もありました。ちゃんと25個で取れる虫かごも用意されているのが心憎いですね。
ちなみに当時、パチンコ玉貸し出し料金は1個2円(>>4円以内に法改正されたのは1978年から)。等価交換でも一匹160円ですから、けっこうおトクだったのではないでしょうか。
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■スーパーマーケットのような巨大な景品場
続いて1978年、同じく愛知県は名古屋市の栄にて、巨大な一般景品場が好評の「FUJI」。1970年代頃から、パチンコでも「スーパー方式」と呼ばれる「自分で好きな景品を選んでかごに入れる」やり方を採用する大型店舗が増えて来ました。
このお店はそうした方式で注目されただけでなく、まるでペットショップのような品揃えでも話題を呼んでいたとのこと。
写真はその一角ですが、ズラッと並んだ鳥かごを見て、パチンコ店と思う人はいないのではないでしょうか? 唯一、値札のようなところに「玉333個」などとあるのがヒントとなりそうではありますが、とにかくスゴいの一言です。
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■珍獣景品が話題のホールは早過ぎたSDGs?
1990年、パチンコのプリペイドカードが普及し始め、ホールがどんどん近代化してオシャレになっていきました。
そんな中「冒険公園」をテーマにして、翌年千葉県市川市に誕生したのが「ピーアーク南行徳店」。何やら「トムソーヤの冒険に出て来るミシシッピー川を下る船のイメージ」で設計されたそうで、ちょっとピンと来ないのですが(笑)、とにかく店内には自然をモチーフにした装飾が多数。
そしてこちらにも景品に生き物が用意されていましたが、馴染みのあるカブトムシや鳥ではなく、カメレオンやイグアナなどジャングルにいそうな珍獣だったのが大きなポイントでした。
ちなみに珍獣たちは玉2000個で交換可能となっていて、女性客が取っていくことが多かったそうです。先述した鳥もそうですが、現代の動物愛護の観点から考えられると信じられない景品ですね……。
他にも写真のように、木彫り人形や面など海外の民芸品を思わせるグッズも揃っていたのが大きな特徴。
また、この店の景品を入れるビニール袋は特殊な素材でできていて、捨てても土に還るようになっていたそうです。まるで現代のSDGsを先取りしたかのような特徴もありましたが、7年ほど前に閉店してしまいました。
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■集客のためのアッと驚く変り種“サービス”も…
さて、ここまで話題性があった一般景品をご紹介しましたが、集客方法の一つとして「変り種サービス」も忘れてはならないでしょう。パチンコは営業も機械も法律で様々なことが決められているものの、比較的緩かった一昔前には驚くようなお店も少なくなかったのです。
まず取り上げたいのは、椅子の代わりに畳に座って打つ「お座敷パチンコ」。
写真は1977年頃、都内にオープンした「奥座敷」というホールのイメージ。椅子の代わりに畳が敷かれ、正座やあぐらでパチンコを打つことができるようになっていました。
こうしたサービスは1962年に香川県内のパチンコ店が始めたという説が濃厚で、日本茶がふるまわれたりしたそうです。以降、全国各地で採用するお店が増え、中には台と畳の間にすき間があって足を入れられる「掘りごたつ式」も登場しています。
ちなみに1996年都内で新規オープンするホールがお座敷コーナーを作ろうとしましたが、消防条例に引っかかってお蔵入りしたこともあり、その辺りからほとんど存在が確認されなくなっているのが残念です。
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■女性しか入れない専用ホール
最初に紹介した一般景品と同じく、パチンコ業界では健全なイメージ作りのために女性ファンを増やそう! という動きも、古くから見られました。
その一つとして、1960年代後半頃から登場したのが「女性専用ホール」です。
写真は1986年高知県にオープンした「レディースハマコー」という女性専用ホールの様子ですが、開店前からかなり多くが詰めかけスタンバイしていました。
いざ開始すると、女性の熱気がムンムンです(笑)。
この他、業界では女性専用コーナーや女性優先オープン、女性専用台などあの手この手で誘致に努めて来ましたが、現在は性差別の観点や女性へのメリットが少ないなど様々な理由で、絶滅状態になっています。
なお写真のホールは割とすぐに女性専用を止め、経営会社も2018年に破産してしまいました。
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■ハーレーダビッドソンまみれの店
オートバイのハーレーダビッドソンが好き過ぎて、それをテーマにしたパチンコ店「パチンコハーレー」を作ってしまった。そんな好事家が、1986年横須賀にいました。
こちらが「パチンコハーレー」店内。そこかしこに「ハーレーイーグル」と呼ばれるトレードマークがちりばめられていますが、驚くのはその一角にある休憩コーナーでした。
お寿司など食事もできるスペースにはハーレーのバイクがずらりと並べられ、中央に巨大なハーレーイーグルの木像が。
この木像、樹齢1000年の楠を3年間乾燥させ、3名の名工が一刀彫で1年かけ完成させた、世界最大のものだそう。こんなものまで置いてしまうとは、恐ろしい執念です。
また、景品にもハーレー関係のバッジやステッカー、ボウタイなど様々なグッズが揃っていました。残念ながら現在は営業していませんが、まさにマニアによるマニアのためのホールだったのではないでしょうか。
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■パチンコホールで結婚式!?
パチンコ市場30兆円&参加人口3000万人などと言われた、1990年代半ば。新規開店の勢いも止まらない中、銀座や池袋に「アイゼンラーガ」というゴージャスな店舗が現れ話題となりました。
写真は銀座店の様子ですが、仕事帰りのOLさんをターゲットにしたキラキラの内装となっていて、景品にもブランドバッグなどが置かれ「女性パチンコ教室」が開かれたりしていました。
一方池袋店では7フロアのうち最上階を会員専用の「VIPルーム」に設定。出玉はあまり記憶にありませんが(笑)、インテリアなどに高級感が溢れていました。
また、このVIPフロアでは1995年に写真のような結婚式も行われ、従業員同士が永遠の愛を誓う様子が多くのマスコミに掲載されています。
この時、ホール側は今後ファンの結婚式サービスも考えているとのことでしたが、何と翌年に突然休業してしまいました。
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■懐かしの「ジャンボマックス」のパチンコ店
昭和の子供たちを熱狂させた、お化け番組「8時だョ! 全員集合」。その中に出て来た3メートルほどもある巨大な着ぐるみ「ジャンボマックス」を覚えておいででしょうか?
番組終了後、ジャンボマックスの権利を獲得した会社が、1996年渋谷に初めてオープンさせたパチンコ店。その名もズバリ「ジャンボマックス」といいました。
パチンコ人気が盛り上がっていた時代ですから、開店前から人が詰めかけメンバーズカードを作成したりする中、ジャンボマックスご本人? も登場してしっかりとファンサービス。
またオープンを告知するため、たすきを掛けて渋谷の街を練り歩き、多くの人にピーアール。遭遇した人は、さぞかしビックリしたことでしょう。ちなみにこのお店も現在は閉店してしまっています。
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■神保町の名物ホールに現れた異景
生き物が続きましたので、次はアカデミックな景品です。写真は1981年、都内神保町にあった「人生劇場」というホールの景品場。人の背より高い本棚が並び、場所柄書店と間違えてしまいそうです。
このホールは学生街にあることから、苦学生にパチンコで遊びながら日用品を持って行ってもらおうという狙いで、1960年代以降様々な景品の取り揃えを始めました。その後多くの本も置くようになっていき、近くにある大学の教科書も網羅していたとか。
そんな心意気で長い間学生たちに愛されて来たものの、2020年にいったん閉店。その後経営会社が替わりパチスロ専門店として復活しましたが、昨年末廃業してしまいました。
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すげえな 昭和から平成初期でもそこまで酷いのないぞ
柄悪くてもちゃんと仕事はしてくれてた
店員じゃなくて店員ぽい服装の兄ちゃんに声かけちゃったとかいろんな店でまれによくある
ジェットカウンターも自分で流してたな コインはやってくれた
そういや昔は小箱長箱ドル箱の3種類あったな
大阪は借り出し100円で25個変える時は42個で100円だった
西巣鴨だな。学生の頃入ったことあるぞ
いまじゃ、あまり玉用のお菓子だけだな。
利鞘を稼いでたわ
俺もやってた
当時90発交換の店でCDとかタバコに変えて
学校で2割引きで売ってた
あるあるw ハーフパンツ履いて打ってたらいきなり感電すんだよねw
浅草の国際センターが最初だったと思う
真似した店もあったしコスプレ店員が居た店も
20年ぐらい前かな
子供はプロボウラーかよ
子供、洒落てんなぁ
おおらかすぎるわw
この子も今は50歳後半ぐらいか
なにこれ?昔はこんなんなのか
20年くらい前までは子供もホールに入り放題だったよ
だから子供がウロウロして玉拾って親んとこ持ってったり景品のお菓子に交換してたりしてた
かーちゃんが乳母車に赤ちゃん乗せてたり抱っこ紐してたりして打ってたりもした
新装入れ替えとかの名目だったけみたいだが
これ実話
俺が働いてたパチ屋ではスロの設定6イベントで全台設定3にしてた
それでも吹く台は吹くから面白いもんだったな
あとは普通にサクラやってた
遠隔は俺の頃にはもう出来なくなってたからやってなかった
訳わからんわ
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/news/1654512866/