https://news.yahoo.co.jp/articles/a1dae14b5218c3225f33d12798fd2697006241c4
明石家さんま 高卒後、上京きっかけは“駆け落ち”「パチプロで何カ月か暮らしていた」
明石家さんま(70)が12日放送のBSテレ東「飯尾和樹のずん喫茶」(後7・00)にスペシャルゲストとして出演。19歳の頃に上京した時に住んでいた町の思い出を振り返った。
さんまは高校3年の時に落語家の笑福亭松之助に弟子入りした。だが、高校卒業後に当時交際していた彼女と“駆け落ち”し、東京・小岩に半年間住んでいたという。
さんまは「パチプロで何カ月か暮らしていた」と語り、今でも残る“パチンコダコ”も披露した。
だが、その後「喫茶店でウエイターやっていたことも」と言う。「ずん」の飯尾が「開店前にモーニングを食べている喫茶店でスカウトされたんですよね」と言うと、
さんまは「偶然、うちの店に務めていた人がパチプロになって。それでパチンコ店で会って、“勝ちたいか?”って言うから“もちろん勝ちたい”って。“喫茶店来い”って言うから。あの時は釘の時代やから。釘を全部教えてくれて」と振り返った。
その喫茶店でマスターと知り合いになり「お前何やってる?」と聞かれ「パチンコで暮らしている」と言ったところ「それはダメだ。うちに勤めなさい。みんなには内緒やけど、これこれの値段渡すから」と言われ、その喫茶店「ホープ」で働くことになったと明かし感謝した。
その後“ホール主任”に出世。
その喫茶店は夜中の12時まで営業していたが「12時に“蛍の光”が流れて閉店迎えるんやけど、そこで面白コメント言いながら“今日はこれでおしまいです”みたいなこと言うたら、それを客は待って、12時までいてはる」とさんまのエンディングトーク聞きたさに客が増えたため「また100円時給上がって。お世話になって」と語った。
さんまは「当時は仕事がなかったから、東京でな。浅草演芸場行っちゃ断られ、東洋館行っちゃ断られ。弟子につかなきゃダメってことで。俺は大阪に師匠がいるから入れてもらえず…」と、東京での生活はうまくいかず、大阪に戻ったという。
さんまが懐かしそうに語ってる顔が浮かんでくるような良いエピソードだな
でもさんまって女に対して冷酷なんだろ
>>8
逆
駆け落ちした相手は明石家さんまが寝てる時に家出してしまって、それ以後別れっきりになって、そのまま大阪に戻った
それがあって、さんまは「何があっても自分からは一切寝ない。寝てしまったら、大好きな人と離ればなれになる!」という恐怖心を持つようになる
ちなみに、大阪に戻って以後は、師匠の笑福亭松之助に詫びをいれて、笑福亭から一人屋号である「明石家」を名乗ることで、大阪の芸能界復帰を許された
ならばさんまがパチンコやる番組を一度放送して欲しい
さんまがパチンコやってる姿を見てみたい
>>1
いまはパチンコでは稼げないからな
これ見て勘違いするなよ
昔は攻略法があって実際に出たからな
効率良く稼げた
いまは絶対にムリ
クソガキww手打ちの時代やww
もっと前だろ
手打ちの時代
さんまさんが19歳頃なら、チューリップしかない時代だよ。
指で弾くパチンコ時代の話だよ
今だにそのタコが取れないと膨らんだ中指を見せてた(弾いたハンドルが当たる)
断片的にはこれまでも話してたけど結構なシビアな若手時代なのが想像できたわ
あれは90年くらいから出始めたから
パチンコの羽物もないんじゃないかな?
いわゆるチューリップに玉を入れるだけのシンプルな
普通機っていう台くらいだと思う
調べたら羽物の元祖は1981年のゼロタイガーだって
遊んでただけ
引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1760355648/
