継続は力なり。
クズを継続している俺は莫大な力を手にしているという勘違いから、早くも一か月弱の月日が流れようとしている。
こんにちは。倒産じぃじです。
思った以上に前回のコラムの評価をいただきありがたく思っている次第であります。
もしまだお読みでない方がいらっしゃれば、前回記事に一度目を通していただいたうえで、このたびの記事を読んでいただければありがたく思います。
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倒産じぃじが出来るまで[人生のレバーを叩け#01]
こうして人様のサイトにスロット記事…もとい、スロットも含めた日常系記事を寄稿させていただくなんていつ振りだろうと小一時間 ...
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それでは前置きはこの辺で、大阪生活の続きから振り返っていこうと思う。
大阪での専業生活
大阪での専業生活は、広島での生活以上に拍車がかかり、毎日パチンコ屋へ並び、閉店近くまで居座るという日々が続いた。
当時はまだイベント告知が許されており、かつ、様々なホール情報誌の成長期でもあり、公約を用いたイベントを続々と各種ホールが導入していた。
機種ラインナップも、最高だった。エヴァまごころ、リオパラダイス、北斗将、2027、戦国無双と、いわゆる119%系はメインとして触らなかったまでも、店がしっかりと設定を使ってくれ、かつ看破に優しい機種に恵まれ、少々適当に立ち回っても生きていくのには困らないほどだ。
それ故に、俺自身、どんどん自堕落になっていくのを自覚していた。
とある冬、俺はこんなのことを公言していた。
『世の中にパチンコとコンビニとネットがあったら生きていくのは容易い。』
改めて活字化して思うが、あまりにも人生を舐めている生活を送っていたんだなぁと思う。
今の自分のパチンコスロットレベル、置かれた社会的立場をもってして、いったい何が『生きていくのは容易い』であろうか?
少なくともそれらを容易く思えるほど視野は狭く、『井の中の蛙、大海を知らず』とはまさに俺のためにあることわざであったであろう。
そんな当時の俺にもスロットパチンコ以外の楽しみがあった。
アメブロで知り合った方々との交流だ。
アメブロでの出会い
アメブロではスロットパチンコジャンルが新設されしばらくが経った頃だったが、すでにエントリーしているブロガーは多く、そこそこの賑わいを見せていた。
俺も広島の時以上にブログには精を出し、パチ屋閉店後に帰宅して、明け方4時くらいまで記事を練りに練って執筆し、その後仮眠を経て再びパチ屋へ。そんなルーティンの毎日。
その成果もあってか、ランキングはジャンル上位へ食い込むまでになり、より執筆モチベーションを高めてくれて不規則な生活が必然的に続いていた。
気が付けばオフ会にも声をかけていただけるようになり、そこで出会った方々との交流が、人と話すことが限られていた俺の生活に喜びを与えてくれていた。と、いった塩梅だ。
スロットやパチンコを打つことが、お金以上に、人との交流の場として再認識できた頃である。
そんな気持ちは広島で期待値を知る前にパチンコ屋へ出入りしていたころ以来だろうと思う。
時を同じくして、amebaではアメブロ以外の新サービスがスタートした。
今はどうなのか知らないが、当時誰もがこぞって参加した『amebaピグ』である。
日中は稼働、帰宅後は記事作成と同時にamebaピグでフォロワーの皆様方との交流、合間を縫ってハンゲームでマージャンをする毎日。
コミュニティ依存症が出来上がるのに時間はかからなかった。
そのコミュニティ依存症のおかげもあってか、各地のフォロワーさんの地域を回って稼働する、いわゆる『旅打ち』にも挑戦した。
各地のフォロワーさんと稼働し、その都度飲み会でさらにコミュニケーションを図り、気分次第で次の土地へ。
自由気ままな俺の性分には非常に心地よく、今後の自分の人生でも大きな影響をもたらしてくれることとなった。
しかし、そんな好き勝手できる毎日はいつまでも続くことはなかった。
結婚に向けて・・・
旅打ち以前から交際していた女性と、”結婚”の話もちょくちょく出てくるようになって、覚悟を決め、スロ生活者ながらに、交際相手のご両親へ挨拶へ出向いた頃の話である。
お父様は体の具合がよくないということで、主にお母様とお話をさせていただいたわけだが、振り返ってみると自分自身に誇れるものなど何もなく、対面した直後から冷や汗が止まらなくなってしまった。
それでも嘘をつく場面ではないため、正直に『俺はスロットで生活しています。』とお母様に打ち明けてみると、『生き方を否定するつもりはないが、大事な子供を預けるのにあたって仕事をしてもらうことはできないのか?』という旨の返答をいただいた。
俺は直前の冷や汗で自覚していた。俺自身がこのままでは駄目であるということを。
それもあいまってか、気が付けば、『はい。就職を視野に入れて今後生活します。』という答えを口に出していた。
自由気ままに生きてきたスロ専業生活者終焉の時期までのカウントダウンが、この瞬間から始まったのだ。
不安もなくはなかった。が、なんとかなるかなという気持ちもあり、絶妙に心のバランスが保たれていた気がした。
そのことを、ブログで知り合った人たちの中でも、最も親しく、最も信用している人へも報告した。
その人も専業生活から社会復帰された方の一人で、誰よりも俺の置かれた状況に親身になって耳を傾けてくれた。
それ以降、稼働の合間を縫っては、求人情報誌に目を向けることが当たり前になっていった。
いったい俺には何ができるだろう?いったい俺は何がやりたいのだろう?そんな日々を繰り返し、後手後手になってしまっている俺の仕事探しの最中、専業生活最後になる『攻略打ち』機種の話が飛び込んできた。
活路を見いだせないでいる俺に、相談していた元専業ブロガーの方は俺にこう告げてくれた。
『これだけやって、最後に稼いで、ここで幕を閉じよう。思い切りやって終わろう。』
元専業ブロガーの方は彼女まで諭してくれた。
『この機種がいつまでもつかはわからんけど、少なくともそう長くは続かんと思う。やけん、最後にこの機種だけ追わせてやってほしい。』
この方のおかげで彼女の同意を得ることに成功した俺は、彼女のお母様との約束以来もぞもぞしていた気持ちを払拭して攻略機種を追う毎日へ繰り出すことになる。
ラストスパート二か月弱の火ぶたが切って落とされたのだ。
つづく